『依存』について
- コクーンブログ
- 2016年11月21日
- 読了時間: 2分
スマホが出て間もない頃、分割払いが終わるまでの2年だけ、
使っていた事があります。それ以来、ずっとガラケーを使っています。
スマホをやめて、ガラケーに戻した時、こっちの方が自分に向いてるなあと
感じた事を覚えています。
時代や世間がいつも正しい方向に進んでいるとは限らないと考えています。
電車などで、スマホを使っている人を客観的に見た時、
ほとんどの人のココロが、スマホの中に入り過ぎてしまい、カラダだけが現実世界に
取り残され、ココロここにあらずな感じに見える人が多いように感じます。
なので、表情や存在感が薄く見えてしまうのです。
必要だから使っているというよりも、使わずにはいられない、
『スマホがご主人様』になってしまっているような感じでしょうか。
本当に自分の意志で使っているのなら、もうちょっと生き生きした雰囲気が
出てきても良いように思うのですが…。
スマホに限らず、何かに依存してしまう事は、
依存しているヒトやコトやモノに、ココロを委ねてしまう事になります。
自分を無くし、自ら考えることを放棄してしまっている事になるのです。
普段から、自分を出す事をしていないので、表情も変化する必要が無く、
どんどん無表情になり、存在感というエネルギーが弱々しくなってしまうのです。
歩かないと、歩けなくなります。
考えないと、考えられなくなります。
依存してしていると、自分が無くなります。
使わないと、使えなくなります。
代謝しないと、滞ります。
どんな些細なことでも、自発的に考え、意思を持って行動していくことで、
エネルギーが自然に湧いてくるように感じています。
『そのエネルギーは、接する人の意識をろ過させ、
自然とその場や周囲に活力を与える事が出来る』ようにも感じています。
一人ひとりが息(遺棄)をしているだけではなく、
生き(活き)ていく世の中であって欲しいと考えています。
まずは自分から!と思いながら、七転び八起きしています。