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伝える。受け取る。

伝える。受け取る。

ここを一致というか、共有させていくのはとても難しいことだと

日々実感しています。

例えば目の前にいる人が、どう見ても今のままだとヤバい方向(例えば病気など)に

向かっているなあと、感じたことを伝えたとしても、

ストレスなどでココロの濁りが強く、判断出来ない状態にある時、

「大丈夫だから気にしないで」と返されてしまったら、

それ以上のことを伝える事は出来ません。

相手が違和感や疑問を持ち始めるまで、もしくは病気になってしまってからじゃないと、

そういうことだったのか!と受け取れるようになることは、難しいように感じています。

ねじ込むように、押し付けるように伝えると、相手側からは大きなお世話になるので、

反発心という想い(念)がこちらに向かってぶつけられます。

これはカラダにとって、凄いダメージになることが、経験上分かっています。

同じことを伝えた時、人によって受け取り方に違いが出てくるのは何故でしょう?

自分に意識を向ける習慣を持っている人ほど、

柔軟に受け取れる可能性が高いように感じています。

口では「そうですね~」と、一見肯定しているようで、

他人事のように受け取られていると感じる時があります。

そこに、「自分は大丈夫という思い込み」が邪魔してしまっているのを感じる場合があるのです。

もちろん、こちら側の体調が悪く、うまく伝えられない場合もあります。

この空気感の違いを説明する事は、とても難しいと感じています。

私も常日頃から、カラダとココロの関係性について、何でだろう?と

色々な疑問を持ちながら、たくさんの方と接してきたことで、

ちょっとずつ、違いを感じ取れるようになってきたと実感しています。

その微かな違い、デリケートな違いを、何となくでも感じられるようにしていくことが、

トラブルや病気になるリスクを、回避出来る可能性が高いと考えています。

『その気付く・感じるというモチベーションを、

ストレスや思い込み・過剰な依頼心が妨げます。』

何か不都合や悩みが生まれた時、

神社仏閣、宗教、占い、霊能者、スピリチュアルなんちゃら等に

すがったり、あがめたりしてしまう事は、

自分の変化や成長を感じること、生きて(活きて)いくことへに対しての

逆の作用になると、経験上、確信しています。

生きていく楽しみや充実感は、人に与えてもらえるモノでは無いように思っています。

今、ご自身の置かれている状況と照らし合わせて、何か感じ取って頂けたら幸いです。

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